妊娠・出産

子供を産んでしまった・・・そう思い詰めたとき

つい先日、娘が2歳の誕生日を迎えた。
cakeの上にのっかった2本のローソクに、フーフーと息を吹きかける 愛らしい口元。

手をたたきながら、ハッピーバースデーを歌う娘の姿をみると、感無量になる。

あぁ、手のひらで頭がガッシリつかめた赤ちゃんが、こんなに成長した。

そして、ふっと あの時の、あの思いが 脳裏をかすめた。


「子供を産んでしまった・・・どうしよう」

心の底から沸き上がる恐怖に、立ちすくんでしまったことがあった。


それは、娘が産まれて3日くらい経ったときのこと。

今から思えば、帝王切開後と、それに続く母乳の張り(母乳が詰まり、胸を撫ぜたたけでも、信じられないくらい痛みが走る)のダブル激痛で、産後ウツに陥ってたのかもしれない。

出産までの2ヶ月間、私は切迫早産で入院していた。
赤ちゃんの無事を祈る傍らで、ベットに縛られる入院生活があまりに苦痛だったため、1日でも早い退院を望み、その後の赤ちゃんとの生活を思い描く余裕すら無かった。

産後すぐは、手術後の激痛で、これまた何も考えられなかった。
術後の激痛も幾分か和らぎ、夢にまでみた退院があと数日となった頃。

急に実感が沸いてきたのだ。

 「これから、赤ちゃんを一人前に育てていかなきゃいけないんだ」

背筋がゾクっとした。
赤ちゃんがイヤとかそういうのではなく、人生をかけて、1人の人間を育てていかなければいけない、その責任感がずしっと現実味を帯びてきたという感じだった。

いつの間にか、産むことがゴールになってしまっただけに、この当たり前の事実にさえ、打ちのめされてしまった。


 どうしよう・・・
 こんな私が、きちんと育てていくことが出来るのだろうか・・・??


結婚は、幕を閉じることが出来る。
が、子供を産んでしまったら、親という役割から降りることは一生出来ない。

もう2度と引き返すことのない列車が、動き始めた感覚だった。


子供を産んだ直後は、ただただ嬉しくて、世界は暖かいピンクに包まれるものだと思っていた。

こんな風に思ってしまう私は何かがおかしいのかと、落ち込んで、むせび泣いた。
(だいぶ後になって、有名なアメリカのコラムニストが、私と同じ思いを味わったという記事をみた。ほっとした。その方は男性だったけど)

そんな母親の思いが伝わったのか、その日、娘はミルクを飲まなくなったそう。
私のせいだ・・・ごめんなさい、また深く落ち込んだ。




産後すぐはそんな感じで、消え入りそうな精神状態だった。

幸い、体の痛みが薄れるにつれ、気持ちも持ち直すことが出来た。
退院する頃には、赤ちゃんとの新しい生活にワクワクする気分も湧いてきた。


子供を育てることへの責任、特に世間が求める母親への要求の重さは、今でも時折感じるが、
「産まなきゃ良かった・・・」と心底思いつめたのは、この時だけ。


私が足をぶつけ、「いたぁい」と身をよじっていると、ナデナデしてくれる2歳の娘。
思わずムギュッと抱きしめる。娘の甘い香りがする。


「産まれてきてくれて、ありがとう」


まだまだひよっこママだけど、あまり気負わず、娘と共に成長していきたいな。

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母乳とミルクのはざまで・・・

赤ちゃんは産まれてきたらすぐに、本能的におっぱいをくわえると思っていた。
そこに苦労が存在するなんて、思うすべも無かった。

しかし、出産後にそうではないと知ったのだ。


母乳で育てたい・・・そんな私の思いは、のっけから困難を極めた。

病院での授乳室にて、助産師さんの手ほどきのもと、慣れない手つきで授乳に挑戦した。

娘を、乳首まで引き寄せる。
が、いっこうに吸い付こうとしない。顔をそむけようとさえしている。

病院では授乳の時間が決まっていた。
時間内に母乳を飲まなければ、ミルクを足すことになっている。

結局、入院期間中、娘がおっぱいをくわえることは無かった。


自宅に戻れば、もう授乳の時間を気にすることはない。
娘が乳首をくわえるようになるまで、気長にやっていけばいいかと軽く考えていた。

しかし・・・私の思う通りには、事は進まなかった。
娘は全く、乳首を口に含もうとしなかった。私が無理してくわえようとすると、ギャンギャンcrying泣き出した。

なすすべもなく、ミルクの量だけが次第に増えていった。


生後1ヶ月が、母乳育児かミルク育児かの分かれ目になると、世間では言われている。


周りの声も、次第にプレッシャーとなっていった。
母乳派の人たちは、「ミルクは足すな。哺乳瓶に慣れると、乳首を吸わなくなる。」
「徹夜してもいいから、赤ちゃんがおっぱいを飲むようになるまで頑張れ!」と檄を飛ばす。

病院の助産師さんたちは逆だった。
「おっぱいを飲むのも、体力がいるのよ。ミルクで大きくなったら、おっぱいを飲めるようになるわよ。
 今は体重を増やすことに専念して」


真逆のことを言われ続け、母親になりたてで何も分からない私は、次第にノイローゼになりそうになった。


確かに母乳に越したことはない。私だって、そうしたい。しかし、心は揺れる。
目の前の娘は、おっぱいをみると激しく抵抗するのだ。無理にこだわるのは、母親のエゴではないだろうか。

私自身、ミルクで育ったし、それでもいいのではないか・・・。

かといって、ミルクだけで行こう!と、すぐには方向転換できなかった。


幸か不幸か、私の母乳の出が良かったのだ。供給はあるけど、需要がない状態で、おっぱいは常にキンキンに張る。ずっと搾乳し、それを哺乳瓶に入れて与えていた。


いっそ母乳の出が芳しくなかったら、かえってミルク育児に軸足を変えられたかもしれない。
どっちにも動けない苦しさが、一層追い詰めた。

インターネットでも、同じように苦しむ母親たちの声があった。
母乳で育てたいのに、肝心の娘が飲んでくれない。もしくは、母乳の出が悪い。

断腸の思いで母乳育児を断念せなかった投書の数々。自分のことと重ね合わせて目元が潤む。

こんなに自分が、母乳のことで悩むなんて、思いも寄らなかったのだ。


そして、ミルクと搾乳の日々は、なんと2ヶ月も続いた。
その間も時折、娘が乳首をくわえさせてみたが、やはり吸い付くことはなかった。

娘は乳首の温かさを知らず、成長していくのかな・・・親としては悲しかった。


ところが・・・


ある日突然、奇跡が起こったのだ。


もはや、直接母乳を半ば諦めていた。
が、何とはなしに乳首に近づけてみた。
イヤがるだろうな~と決め付けていたら、なんと!娘は、吸い付いたのだ。


娘がおっぱいを飲んでいる!

あの瞬間を、あの喜びを、未だに忘れられない。


哺乳瓶に慣れた赤ちゃんは、乳首に戻ることは少ないという定説がある。

2ヶ月も哺乳瓶からでしか飲んだことが無かったにも関わらず、悩んできた時期がウソのように、娘はおっぱいに親しむようになった。その後、2歳まで飲み続けた。


世の中は、根強い母乳信仰があり、ミルクで育てた母親は大なり小なり、罪悪感を抱えていることが多いようだ。


が、ミルクで育ち、自身の育児も、両方体験した私は思う。

どっちでもいい。

ミルクで愛情いっぱい育ててるお母さんに向かって、「母乳じゃないの? 可愛そう・・・」という言葉だけは、投げかけてほしくない、そう願ってやまない。
(↑ ミルク授乳の頃、似たようなセリフを言われました)



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予定帝王切開 その2

前回の続きから

この病院では、帝王切開であっても、ダンナの立会いは可能である。

ただし、希望する夫婦は誰でもOKということではない。
妊娠初期から、病院で開催される両親学級を全て受講することが条件らしい。

私は出産2ヶ月前に、この病院に転院してきたので、受講している訳もない。
なので、立会いは見送ってほしいと看護師に説明された。

私自身も、そこまで立会いにこだわってなかった。

手術室から出てきてゆっくり対面してもらおうと、鷹揚に構えていた。


なのに・・・

急な先生の対応に、手術室がざわめきたった。
後から聞くと、待合室でぼんやりしていた主人が、急にバタバタと手術室で呼び出されたらしい。

手術室の私は、お腹がパカ~ンと開いたまま、主人を待っていた。

彼の登場と共に、赤ちゃんを取り出す算段のようだった。

『ダンナさん、まだぁsign01  もう限界sign03

主治医が叫んだ。
私も焦ったsweat01  開いたままのお腹をどうにかしてほしいっ!!


何ボヤボヤしてるのぉぉぉ~! 早くきてよっ!!


慌てふためいた顔の主人が、ようやく顔を見せた。

その瞬間、唐突にメロディーが流れた。

ハッピバースデー to YOU~note

カワイイ子供たちの歌声が、無機質な手術室を包んだ。

感激・・・だったら良かったが、ちょっと間抜けな感じで、引いてしまったsweat01


『おめでとうございます!!』


手術室のみんなが、祝福してくれた。
臨月を経て、やっと出会えた! 涙が潤む。

『女の子ですね』

やっぱり、そうだったのか・・・
実は産まれるまで、はっきりと性別が判明してなかった。
8割女の子だろうとは言われてたものの、決定打を見出せなかったようだ。

手術室に寝そべっている私の肩に、娘がちょこんと乗った。主人が素早く写真を撮ってくれた。

家族3人の初顔合わせ。

これから、このメンバーで この世の中を渡っていく。

こんにちは、赤ちゃん、ヨロシクね。




感激にひたる余裕もないまま、赤ちゃんは別の部屋に移っていった。

お腹から下はカーテンで覆われていて、手術や術後の様子は見えないようになっていた。
その日は手術が立て込んでいたようで、そのカーテンの向こうでは、すでに新しい作業に取り掛かっていた。

手術痕の縫合。これが終わると、ようやくお産は終了。


はぁ~、おつかれさまgood


<< 余談 >>

手術痕の縫合について

内臓の縫合は主治医がやってくれたようだが、皮膚は研修医が担当したようだ。

そのせいとは言い切れないが、いまだに手術痕がくっきりと残っている。

通常は、白い線一本になり、よほど目を凝らさないと、分からないらしい。
が、私のは一目瞭然である。

縫合により盛り上がった皮膚をキレイにするには、形成外科に行く必要があるらしい・・・


うーん、どうしようかな。


本音では、研修医に立ち会ってもらいたくはなかった。手術前、主治医にもかけあったが、却下された。
なんせ総合病院。未来の医療を担う、彼らの実習の場を提供せなあかんし・・・はぁ。



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予定帝王切開 その1

前回のエントリーは、術後の激痛についてだった。

今回は、帝王切開手術そのものの体験記を記そう。

手術は、昼過ぎに行われる予定だった。
午前中は本を読んだり、TVを観ながら、ゆったりとその時を待っていた。

「いよいよですね。朝から何だかソワソワしてます」
朝はやく、実母から携帯にメールが届く。
実母にとって、2人目の孫。しかも、15年ぶりの孫誕生である。

午後になって、主人の両親と共に、その母が病院に駆けつけた。

普通分娩と違い、予定帝王切開はいつ産まれるかが事前に分かるのが、メリットとも言える。

『いよいよ、これから手術室に向かいます。準備してくださいね』
なじみの看護師さんが病室に呼びにきた。

いよいよ出陣だ!!

重い鉄の扉を開けると、手術室へと向かう通路が目に飛び込んだ。
今度、この扉を開けて出るときは、身が二つになっている。不思議な気分だ。

心電図を測りながらも、看護師さんたちは手際よく麻酔の準備に取り掛かっている。

『では、麻酔をかけていきますね』

手術室に入って、5分も経ってないんじゃなかろうか。
心の準備もままならぬうちに、1本目の麻酔を打つことになった。

この1本目の麻酔は、麻酔を打つための麻酔。
2本目の麻酔が本番なのだが、この麻酔が痛いらしく、それを緩和するための麻酔を
打つことになっているらしい。

背中にかすかな感触が走る。まもなく、2本目の麻酔が体内に入る。

麻酔医が太ももの反応を伺う。
『ここ、感触ありますか?』

次第に下半身が痺れ、麻痺状態になった。麻酔医の手の感触すら感じない。

『うん、ちゃんと麻酔が効いているな。やりましょうか』

入院中からの主治医である女医さんが、メスを握った。

いよいよだ。私の身体に緊張が走った。


ジュッと焦げ臭い匂いがした。どうやら、皮膚にメスが入ったようだ。痛みも感触もなし。

美容のことを考え、横切りに切開すると言ってたなぁ~とぼんやり思い出す。
(縦切りは、手術痕が目立つらしい)

『ほらほら、赤ちゃん、見えてきたよ』
先生が、優しく声をかける。いよいよご対面の時が迫ってきた。

その時!!

ふいに先生は周りの看護師に向かって、大声で叫んだ。

『ダンナさんは(手術室に)いるのsign02



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娘が生まれたときのこと ~帝王切開の術後

事務所の引越しが終わって一段落。ほっ。

5月は色々と忙しかった。仕事も プライベートも・・・。
なんといっても、我がスィートBABYの1歳の誕生日だったのだ!

最近、たっちとあんよをするようになり、歩くのが楽しいのか、ハイハイを殆どしなくなった。
「できるだけ、ハイハイを長くさせなさい」とは、巷でよく言われるが、ご本人は「そんなの、関係ねぇ!!」とばかりに、あちこち よちよち歩き回っている。

なんて、可愛いんでしょっheart01

そして思い出す。1年前のこと。
娘が産まれたときのこと。

いまさら・・・と思わないでもないが、私にとっては大切なことなので、メモリアルとして書いておこうっと。

私の出産は、妊娠前に思い描いていたのと 全く違っていた。

どちらかと言えば、LOHAS志向のワタシ。出産も出来るだけ自然に、医療介入は最小限に・・・と考えてたのだ。助産院のことも、色々と調べ、足を運んだ。

が、結局は、総合病院にて、帝王切開での出産を選ぶことになった。

我が娘はお腹にいるときから、足を下にした状態を保っていた。いわゆる”逆子”。
一口で逆子といっても、いくつかタイプがあるが、普通分娩が一番難しいタイプの逆子だった。

「私どもは帝王切開での出産をお勧めします。しかし、自然分娩を希望されるなら、ご協力はします。が、いつでも(帝王切開に)切り替える準備はさせて下さい」

主人と二人で主治医から説明を受け、選択を迫られた。

その場では即答を避けたが、気持ちはほぼ決まっていたように思う。
なぜなら、私にとって一番大切なことは、子供が無事に産まれること、子供に負担をかけないことである。産み方にこだわりが無かった訳ではないが、そこまでして・・・という思いがあった。そこには、葛藤も無かった。

その選択は、間違ってなかったと思うし、後悔もしていない。

しかしながら、先ほども言ったように、思い描いていたのと違っていた。
出産といえば、予定日が近づくと、ソワソワしながら、いつ来るか分からない陣痛を待つものだと思っていたが。

「では、当病院では、この曜日とこの曜日が手術日です。
 ご都合の良い日時を教えてください。」
「では、○月○日の午後で・・・」

とまぁ、歯医者の予約を入れるように 出産日が決まってしまった。


当日、「いってきま~す」と主人に手を振って、重い鉄扉の向こうへ行った。
手術室ではテキパキと事が終わり、それから30分もしないうちに、娘の産声を聞いた。

結局、産みの苦しみをスルーして、妊娠時代に幕を終えた。

しかし、想像以上のことが、この後起こった。
出産は、激痛を先に味わうか 後から味わうか という風になっているのだろうか。

帝王切開経験者と話すと、口を揃えて こう言う。
「あんなに痛いとは思わなかった。」

帝王切開は後が大変とは、ちらっと聞いたことが私もあった。
しかし、まさか こんなに・・・crying!!という感じだ。

麻酔が切れくるにつれ、子宮収縮の痛みとお腹を切った痛みがダブルで襲ってきた。
姿勢を変えようと、頭を1ミリ動かしただけで激痛。血栓症防止のため、夜中に看護師が寝返りさせにくるのだが、これが もう・・・思わず叫んでしまうほどだった。

唯一、救いだったのは、この病院では「母子同室」では無かったこと。
新生児室で赤ちゃんを預かってくれるので、夜はゆっくり出来た。

母子同室だと、お母さんの病室に赤ちゃんが24時間いる。普通分娩で産んだ人なら恐らく、充分お世話できるだろう。

しかし、帝王切開の母親には、かなり酷だと思う。頭を少し持ち上げるだけでも激痛が走るのに、どうやって オムツ替えなど、赤ちゃんのお世話が出来るのだろうか・・・私には想像できない。

帝王切開になった人で、たまたまそこは母子同室だったという人と後に知り合ったが
「赤ちゃんが泣いても、ベットから起き上がる時が激痛で大変。起き上がらなくていいように、一晩中、赤ちゃんのそばのソファで座っていた」と話していた。
入院中、全く寝られず、ウツになったと。

そうだったんだ。
お腹を切るということは、腹筋に影響するということ。
そして、腹筋は、日常のちょっとした動作でも使うということ。

くしゃみは痛くてたまらないので、出そうになったら 飲み込んだ。
笑うのも痛い。せきこむなんて、もってのほか!

「私も帝王切開で産んだのよ」「盲腸の手術した」
何気なく聞くこの言葉には、術後の痛みが含まれている! そんなことを知った。

痛みは1週間ほどで緩やかになってきたが、
普通に歩いたり 起き上がれることが どれほど素晴らしいことのか、身に染みて 実感した。

もちろん、今では、普通どおりの毎日を過ごしている。
しかし、今でも時折 娘の鳴き声で 布団を蹴飛ばし ドバッと勢いよく起き上がったあとに 「(普通に起き上がることが出来て!) あぁ、ありがたや~confident 」 と思うことがある。

・・・あれから 1年かぁ。あっと言う間だったなぁ。

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入院生活 典型的なある1日

前回同様、せっかくなので、2ヶ月の切迫早産入院の典型的な1日を記録しよう。

腕には、早産防止の薬剤が入った点滴が刺さっている。
24時間ぶっ通しで、腕に点滴が流れ続けている。

寝るときもトイレも、点滴とお友達。トイレには、点滴をガラガラを引きながら、一緒に入る。




そんな 入院生活の ある日の記録

 6:00

   「おはようございます」看護師さんが病室に訪れ、体温チェック。
   目が覚めて、TVのスイッチを入れる。
   (病室のTVは課金制。入院期間中、どれだけTVカードを購入しただろうか)


 7:30 朝食のパンがやってくる。

 8:00頃 その日の担当看護師が挨拶にくる。

 9:00頃 ノンストレステスト(NST)の測定。お腹にベルトを巻き、お腹の張り具合を測定する。

 12:00 昼食

 15:00 おやつ

 16:00頃 主人が見舞いに来てくれる。入院中のオアシスなヒトトキ。
        (病院が自宅近くで本当に良かった。)

 17:30 夕食

 21:00 消灯。


あと、週に3回、シャワーを浴びることが出来る。健診は、週に一度。

ノンストレステストも週に3日なので、それが無い日は、8:00頃に看護師と挨拶を交わしたきり、誰とも会話せず、ひたすらTVか本かCDを聴いている。

午後は何もなければ看護師は来ない。しかも、主人が見舞いに来れない日は、これまた誰とも会話なし。
ひたすら、TVか読書かCDに励む。

夕ごはん後、寝るまでに、また数時間もある。あぁ、時間潰しに、TVか読書かCDのシャッフルだ。



ざっくり言って、単調を絵に描いたような毎日だった。
切迫早産は、とにかく身体を動かしてはいけない。
来る日も来る日も、TVか読書かCDで、ただただ時間を浪費していた。

1日か2日なら、こういうのもかえって新鮮かもしれない。
が、2ヶ月も続くとゲンナリの限界を超えそうになるsad

おっと、入院生活で、忘れがたき苦痛を味わったことはもう一つある。

点滴。

持続点滴をつけている最中は、別段何も感じない。

が、点滴の注射針を、腕に刺すときだけは違う。
入院中、ずーっと同じ腕で点滴を続けてくれたらいいんだが、血管の保護のためにも、衛生的にも、定期的に点滴を打ち直さなくてはいけない。

この病院では3日に一度、右左と交互に、点滴を刺す腕を交代していた。

これが・・・点滴は看護師さんによって、上手下手がある。
上手な人にあたると、ほっとする。
なぜなら、要領を得ているので、腕に針がささる瞬間もさほど痛くない。

しかし、不得手な人や慣れない人も、やはり存在する・・・オーマイガットshockである。


まず、血管以外のところに針をブチブチと刺してしまう。

やり直しになるが、何度も何度も、ムダに刺されることすらあった。
ようやく上手くいった、やれやれと胸を撫ぜおろす。


しかし、それで済まなかったこともあった。

点滴を刺された腕がどうも痛い・・・我慢しきれず、ナースコールを押す。

どうやら、点滴が血管にスムーズに注入できず、血管の外に点滴の液が漏れていたようだ。
担当した看護師は、慌てて、ベテランの看護師を呼びに行く。(だったら、最初から・・・)

ホントっ、点滴の打ち直しは苦痛だった。


これを入院中、3日に一度はやるもんだから、私の両腕は、点滴の痕だらけになった。
まるでジャンキーのごとく。

しかも、同じ箇所には点滴を打つことは原則として出来ないそう。
1ヶ月半を経過した頃には、点滴打つ血管を探しあてるだけでも大変だったようだ。

点滴漬けでボロボロの両腕は、私の勲章となった。(血管さん、ありがとうheart04 お疲れ様)


辛かったなぁと思えることが圧倒的に多かった入院生活だが、メリットも少しはあった。


妊娠後期に入院したおかげで、それまで1キロずつ増えていた体重の伸びがピタリと止まった。(病院食は低カロリーなので)

あと、点滴のおかげだろうか、入院前よりお腹の赤ちゃんの動きも活発になった。

赤ちゃんが元気でいることが、何よりの励みだった。


最後はハッピーエンドに繋がったから、この苦労も報われたってことよ。



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入院生活で身にしみたこと~切迫早産

体はどこも痛くない 自由に動ける 臓器も異常はない
食事だって 美味しく食べられる。

なのに、ある日突然、入院を言い渡される。
入院期間中は、基本的には食事とトイレと風呂以外、ベットから起き上がってはいけない。
しかも、歩いてもいいのは、入院していた3Fのフロアーのみ
(別の階に行くには、看護士の許可と車椅子が必要)

今から1年近く前。妊娠8ヶ月で診断された 「切迫早産」

胎児は37週までお腹にいるのがベスト。それより早く出てきてしまったら、医学的処置はするが、37週まで食い止めることが出来そうなら、妊婦さんに入院安静をしてもらうというもの。

破水とかそういう前触れもなく、産婦人科での妊婦健診で言い渡された診断。
その日から約2ヶ月の入院安静生活が始まった。

24時間のうち、23時間はベットに横たわっている生活。
腕には、24時間持続点滴が刺さりっぱなし。
3食病院食を食べて、あとはTV観るか、本読むか、CD聴くか・・・毎日それの繰り返し。

入院後1週間でウンザリし、気持ちもうつっぽくなってきた。
何とか早く退院して、自宅安静に切り替えてほしくて、「元気です。お腹の張りもありません」と、看護士さんや担当医にアピールしたものの、そんなもの空しく・・・。

フルで仕事してたときは、手帳とにらめっこしてスケジューリングしてたのが、入院中はただただ膨大にある時間を消費するだけ。
たまにある検査が、イベントに思え、それさえも楽しみにしてしまっている私がいた。

可愛い赤ちゃんのため、頭では分かっている。でも、体はぴんぴんしてるのに、ひたすら薄暗い病室でじっとしていないといけない・・・これは、想像以上に辛かった。

外は桜の季節。私はそれをTVで観るだけ。涙が出てきた。

そんな入院生活を経て、心に決めたことがある。

 友人が入院したら、お見舞いに行く

入院中、忙しいなか、何人かの友人がお見舞いに来てくれた。
 「アミーゴ、見舞いに行ってもいいかな?」

それまでの私だったら、「来てくれると嬉しいけど、忙しかったらいいよ」と、大人の対応していたかもしれない。しかし、このときは「来て、来て、来てぇぇぇ~」と悲痛に訴えた。

少しの時間でも、話し相手がいることは、本当に心が癒される。
お見舞いに来てくれることが、入院中、一番嬉しかったことだなぁ。
入院患者の孤独が身に染みた。

みなさま、家族や友人が入院したら、時間の許す限り、ためらわず お見舞いに行くことをオススメします。1泊2日とかの短い入院ならともかく、数日以上なら ぜひ!
(ただし、患者さんへの事前の許可は必要だけど。)

余談ですが、入院中の心の支えは、夫や家族、友人達だが
お金の支えは、医療保険! 
なんせ2ヶ月だもの。その上、帝王切開手術も全て、保険でカバーできました。
入ってて良かった~。

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「もし、妊娠していたら、産みますか?」


3度目の妊娠で、初めて産院の受付に立ったときのこと。


前回お伝えしたとおり、最初は「不正出血」を疑って、診断を受けに行ったのだ。
受付には、20代とおぼしき女性が立っていた。彼女に、手短に症状を伝えた。

問診表とペンを手渡され、びっしりと続く設問に答えていった。
ようやく書き終えた後、問診表を手渡した。


問診表をざっと一瞥した受付の女性は、こう訊いた。

『出血が心配とのことですが、妊娠の検査もされますか?』

『そうですね・・・はい』

もちろんだ! そうであったら、嬉しい。


キレイに化粧を施した女性から、次に訊かれたのは、このことだった。

『もし、妊娠していたら、産みますか?」

一瞬、固まってしまった。何を聞かれてるのか、分からない。

『えっ・・・・・ええ、もちろん』

『それでは、お席にかけて、お待ちくださいませ』




予約なしの初診だったので、ゆうに1時間半は待った。


『もし、妊娠していたら、産みますか?』

それ以外の選択肢を考えたことがなかったので、耳を疑ってしまった。

よくよく考えたら、産婦人科に足を運ぶのは、妊娠を望む女性ばかりではない。
年々、中絶件数は増えていると聞いている。
また、過去の妊娠の際に、通っていた産婦人科では、中絶の料金がきちんと明記されていた。

とはいえ、私の胸の中に、違和感も残った。


こんなこと、受付で尋ねるものだろうか?


もし、出産を望まなかったとしても、大きなお腹を抱える女性たちがいる中で、堂々と答えられるとは思えない。

受付でYESかNOかを言うことによって、はたして、診察内容が変わるものなんだろうか・・・。


だったら、何も受付で尋ねなくても、診断がきちんと出たときに、診察室で答えればいい質問だと思う。

いまだに釈然としない出来事であった。




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背水の陣で臨んだ 3度目の妊娠


『確かに妊娠しています。』産婦人科医はそう告げた。

時間が一瞬、静止した。

が、新しい命を授かった喜びを味わう間もなく、医者は言葉を続けた。

『ただ、流産しかかってます』

2度目の流産から3年。
3度目の妊娠は、この言葉からスタートした。




そもそも、この産婦人科に足を運んだのは、断続的に続く出血の原因を診てもらうためだった。

もしかしたら・・・という思いはあったが、出血の方が心配で、婦人病をも疑っていた。

フタを開けてみると、思いがけないサプライズではあった。
が、モロ手をあげて、喜べる状態ではなかった。


『まだ分からないけど・・・1週間安静にして、来週来て』

翌週の診察予約を行った後、数日間の予定を全てキャンセルした。


出血は初期流産の前触れであることも少なくない。

当時、妊娠4週目。それから2ヶ月間、流産しやすい時期が続く。

今度は安定期を無事、迎えることが出来るのだろうか。
授かった喜びより、またかも・・・そんな不安の方が強かった。


たまたま近所にあった産婦人科は、数年前に開業したばかりで、設備もキレイだった。
地元でも人気が高く、待ち時間も長かった。

それでも、毎週毎週、診察に足を運んだ。

過去2回は、心拍が見つからなくなった地点で、妊娠が終わった。それが怖くて、毎回毎回、心臓がチカチカ光っているかどうか、目を凝らして見つめた。

今回も悲しい結果に終わったら、もう今世では諦めよう・・・まさに、背水の陣で臨んだ妊娠だった。


幸か不幸か、私はつわりが無かった。つわりがキツイ人からは羨ましがられるかもしれないが、つわりがあるということは、妊娠が継続している証拠。

つわりが無い私は、健診で確認するしかなかった。




『もう、毎週(健診に)来る必要はないですよ』

13週目に入り、医師はモニターを眺めながら、そう告げた。

『13週で、ここまで(赤ちゃんが)動き回ってたら、もう初期流産の心配は無いよ。』


その一言で、私はようやく、ひとごこちついた。


それまでの妊娠では、モニターの中でしか、赤ちゃんの存在を確認できなかった。
どことなく、バーチャルな存在であったのは否めない。


この頃になって、いつものGパンが入らなくなり、ようやく、カラダで妊娠を確かめられるようになった。
膨らみつつあるお腹を優しく撫ぜた。

まもなく迎える 生まれて初めての妊娠安定期。

ようやく、出産までの道のりに光が差した。



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インターネットに救われた~2度の流産を経て その2

今日、娘を連れて、ベビースイミングの体験に行ってきた。

娘にとって初めてのプール。娘を抱えながら、水の中を歩く。水に顔をつけさせるのは、もっと慣れてからのよう。娘はよく分からん顔したまま、水に浮かんでたよう。私の方がいい運動になったわ

続けてるかどうかは・・・ちょっと思案中。

3度目の妊娠で、ようやくこの世に誕生した娘も 5月で1歳になる。


前回の続き。私が流産の体験を公表したワケと、赤城夫婦とどう関係するのか?

赤城夫婦が、長い時間をかけて書き上げた著書を、昨年末に出版された。
マリッジ・プレミアム

仕事が家庭か? 今まで、特に女性は どちらを選ぶのか?という視点から このテーマが語られたように思う。赤城夫婦は「幸せな夫婦生活とビジネスの成功は、充分両立する」ということを、それを裏付ける豊富なデータと共に、体系的に書き上げている。

実際の彼らは、周りの人たちに惜しみなく 愛を伝える 温かい夫婦なのだが、著書にもそれがにじみ出ている。(オススメですhappy01

で、そのマリッジ・プレミアムのあとがきに、奥さまのカナさんが初めて身ごもった子が、流産してしまったという体験が書いてあった。

彼女が公表したのは、恐らく 多くの人にシェアすることで、同じ体験をしたひとや 何かを喪失した体験をした人への 励まし(・・・と言っていいのか、うまく言葉が見つからないけど)の意味もあって、書いたのだと思う。

このことが どれだけ大きな意味を持つか 私は身を持って知っている。

2003年秋、2度目の流産後、やはり精神的にかなり参っていた。

私の周りで、流産を繰り返したひとは 誰もいなかった。
「早く元気を出してね」 2度めの流産を告げた家族や知人らは、何て言っていいかわからないようで、あまりこの話題に触れることが無かった。

それは彼らの優しさだと思うし、私が逆の立場でも、同じようにしていたと思う。

ただ、私はとても孤独を感じた。
何もなかったかのように お互いにふるまうのも、それはそれで辛かった。

そんなとき 私の救いになったのは、唯一 悲しみを分かち合った夫の支えと

インターネットだった。

ネット上には、流産の体験談や不育症の治療法など、たくさんの情報があふれていた。
5~6回繰り返したひと、6回目の妊娠で、医者と堅いタッグを組みながら、出産できたひと 

 街角で赤ちゃんを見るのが辛い 妊娠が怖い 流産が怖くて 動けない
 医者や周りの人たちの信じられない一言
 それでも 同じ体験したひとを励まし、出産できたひとたちに 心からの喜びを表す


画面を見つめる私の目は もはや かすんで見えない。
私だけじゃない・・・固くなった気持ちが 徐々に癒されていった。

赤城夫婦の あとがき を読み終えたあと、あの頃の経験を思い出した。

このブログを読むひとの中には
私と同じ体験をしたひと もしくは 周りにそんな体験をした人がいるひと がいるかもしれない。

アミーゴもそんなことがあったんだ・・・と、ほんの少しでも 励みになったり、
「そういえば、アミーゴがこういうこと書いてたよ」と、同じ体験をした人にそっと教えてもらえたらいいなぁ と思う。

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娘が誕生するまでの道のりは・・・2度の流産を経て その1

赤木がブログに書いたが、今度、赤城夫婦と共同主催で、家系講座を開くことになった。
講師は、全国2万件の家系調査を行った 与那嶺先生。(その中には、海部元首相も)

私が3年前に、彼の講座を受けたのが、ご縁のきっかけ。
「家系をさかのぼれば、結婚できるし、子供も出来る。引きこもりや不登校も解決する!」
と豪語してたが、先生に出産のご報告が出来て良かった。

私がたどったルーツは ここに書いてます。

 家系を調べてみると・・・
 家系を「さらに」調べてみると・・・えっ!


この講座にご興味ある方は こちらからお申し込みを!


娘が誕生するまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

私たち夫婦は、丸5年間、二人だけでやってきた。最近の風潮なのか、露骨に「子供はまだ?」と聞いてくる人は少ないが、たまにはいる(特にご年配の方)

『はやく子供を作りなさい』 『年齢的にもリミットが近づいている』

一番びっくりしたのは
 『子供が出来なければ、更年期が辛い。不妊治療をしてでも、子供をつくりなさい」と言う人。不妊で悩んでいると、勝手に思っていたのだろうか・・・。

ま、悪気なく言う人が大半なので、『はーい、がんばりまーす!』と答えてはいたけど。

子供をつくらない夫婦と思っていた人もいたみたいだが、決してそうではなかったのだ。

願望実現5ヶ月コースのサイトに、私の経験したこと を書いた。
その中で、2度の流産についても、触れている。

今でも覚えている。冷たい雨の中、涙流して震えながら 帰った日のこと。
2003年秋、通っていた産婦人科で、2度目の流産を告げられたあとだった。

その年の春、最初の妊娠が3ヶ月で幕を閉じた。
えーっ、妊娠したら そのまま出産するんじゃないの! と勝手に信じていた私はショックだった。

そんな気楽さだから、妊娠が分かった途端、友人達に言いまわった。
『今、妊娠何ヶ月?』『もう、そろそろ出産だよね?』『出産祝い、何がいい?』
流産後数ヶ月経っても、『実は・・・」という事後報告することが続いた。

それで懲りたのもあり、2度目の妊娠は仕事の関係上で言わないといけない人以外には安定期に入るまで公表しなかった。

今度こそは・・・の願い空しく、1度目より早く、お空に戻ってしまったのだ。

さすがに2度続くと、自分の体に自信が持てなくなった。
周りを見渡すと、何の苦労もなく、出産しているように見える。

「どうして、私だけ・・・」

産婦人科医で、「不育症」の検査を進められた。
妊娠しても、継続できない体質の人がいて、4~5回流産を繰り返す人も珍しくはないらしい。もしそうなら、治療法もあるので、一度診てもらったほうがいいと。

私も漫然と繰り返すのは絶対にイヤだったので、不育症の治療で全国的に有名な大阪の病院で検査しに行った。
だけど、コレと言って、原因が見つからなかった。流産は健康な妊婦でも、10人に1人の確率で起こることなので、たまたまソレが重なっただけかもしれないし、もっと精密な検査をすれば、原因が特定するかもしれない、ということだった。

そんなこんなで、しばらく妊娠はお休みして、仕事に没頭した。その間の経緯や気持ちは、体験談にも書いたが・・・。

2度流産した経験は、これまで 人にあまり言わなかった。
個人的なことだし、告げられたほうも、何て言っていいか分からないだろうし。
(実母でさえ、私にかける言葉が見つからないと嘆いていたから)

しかし、ある きっかけで、私も公表しようと思い立った。

そのきっかけをつくってくれたのが、
今回、家系講座を共に主催する 友人の赤城夫婦だったのだ。

それは・・・つづく

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産婦人科医は本当に少ない

アミーゴ 出産スペシャル 第2弾(笑)

昨今、マスコミで「お産の危機 ~産婦人科がどんどん無くなっている」「お産難民」といった報道が連日のように連呼されている。まるで、危機を煽るかのように。

で、実際はどうよ? 

「産める場所はホント少ない」 
2007年に出産した 私の実感では、マスコミの報道以上にそう感じている。

私が住んでいるのは、人口8万人の大阪・京都のベットタウン。市内で分娩施設があるのは、2つの個人医院と、一つの総合病院。ただし、両隣の都市には分娩施設がないので、実質、3都市の妊婦さんを受け入れると考えていい。

その中の一つで、妊娠8ヶ月まで健診に通っていたクリニックは、評判がいいこともあり、予約していても、1時間半待ちはザラだった。

その後、切迫早産で、結局出産することになった総合病院に転院したが、そこの外来も予約制にも関わらず、もっと待ち時間が長いそうだ。

さらに、私が妊娠・出産したわずか1年弱の間で、前述のクリニックも、総合病院も両方で、産科医が減ったのだ。
特に、クリニックの方は、院長含め、3人の産科医がいたが、「このままでは、我が病院の産科は閉鎖してしまう。」と、兵庫県のある病院の要請を受けて、副院長がそこに赴任することになったらしい。

総合病院の方も現在は、私の担当医も含めて、3名で頑張っているよう。
私が入院していたときも、「この人、休んでいるだろうか??」と思うほど、来る日も来る日も、担当医の姿を見かけたが、今はそれ以上かもしれない。キビキビした方といえども、お孫さんがいる年齢なのに。

産科医が減ったことを受けて、総合病院の月間分娩予約数は、2/3に減った。今では、妊娠発覚の第5週くらいに予約しないと、すぐに埋まってしまうという。さらに、出来るだけリスクの高い妊婦さん(前回、帝王切開だったり、何らかの持病があったり)を、優先的に受け入れる傾向にあると聞いた。

そう、人生の一大イベントに関わる お産場所。選ぶ余地がないと、友人は嘆いていた。

今、日本では、産婦人科事情に関しては、マイナスのスパイラルにはまっているのかも。

出生率低下に歯止めが利かない ⇒ 産婦人科の未来に展望が抱けない
⇒ 産婦人科医の成り手が少ない ⇒ ますます産める場所が減っていく
⇒ 少なくなる一方の産める場所に、遠いところからも妊婦さんが殺到 
⇒ ますます仕事が激務となり、産科医が退職する
⇒ さらに産める場所が減っていき、妊婦さんの不安も広がる

どうしたらいいのか? と言っても 何から手をつけたらいいのか分からないのが現状ではなかろうか。産婦人科医を増やすことが急務といっても、医学生に、無理強いするわけにもいかないし。

う・・・・ん。

ただ、現在9ヶ月の娘が成人になったとき、こんな話が出来たらなぁと思う。

「あなたが産まれたときは、産める場所が一番少なかった時代だった。
 今は産める場所が本当に増えて、出来るだけ自然に産みたいひと、医療のサポートをしっかり受けたいひと それぞれの希望を充分叶えてくれるようになったわ。」

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産まれました!

アミーゴです。

みなさん、暖かいエールをありがとうございます。
そして、返事が出来なくてごめんなさい。

少し遅れましたが、5月11日
よく晴れた午後に、新しい命が誕生しました!

2692グラムの女の子です。

2ヶ月近くの切迫早産入院生活を経て、
そのまま引継ぎ、予定帝王切開で産みました。

手術前はキンチョーしましたが、わが子が取り上げられた
瞬間、涙が止まりませんでした。

ようやく出会えた!

主人も手術室に入ることが出来たので、親子3人で
初めてのときを対面できました。

その後、術後の痛み(ウワサには聞いてたけど、あんなに
辛いものとは・・・)に苦しみましたが、退院間近の今日、
だいぶラクになりました。

これから初めての育児にチャレンジします。
分からないことだらけで不安ですが、少しずつママに
なろうと思っています。

しばらく産休を頂き、子育てに没頭するので、メールの
返事はできないかと思いますが、どうかご容赦ください。

では、今後ともよろしくお願いします。

P.S.入院中の病室からのご報告です。
   また赤木に代理UPしてもらいました。

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Thank youに入りました

朝比奈@アミーゴです。

今日はこの場をお借りして、みなさんにお知らせがあります。

私は今、新しい命を授かり、現在妊娠9ヶ月です。
そして、産休に入りました。

ファインネットワールドの業務(メール受付など)は
当面、ボスである赤木が担当しますので、
よろしくお願いします。

本当は4月から、産休に入る予定で
赤木に全ての業務を引き継ぎ、あとは家でのんびり
する予定でした。

それが、3月半ばから、切迫早産で突然の入院と
なってしまい、少し前から、事実上の産休に入ってます。

そのため、病室で少しずつ、引き継いでいる状態です。
その上、赤木の業務も重なり、現在、彼もあわただしい
日々を送っています。

ファインネットワールドあての問い合わせやメールの
対応などで、少し不備があるかもしれませんが、
どうかご容赦下さい。

切迫早産、つまり早産の可能性がある状態なので
対処法としては、24時間点滴とひたすら安静しか
ありません。しかも退院はまだ先になりそうです。

日々、ボコボコ動く赤ちゃんと対話しながら、
(・・・現在、逆子ちゃんです)のんびりすごしている
毎日です。

ということで、私宛の私信メールは返事できませんので
ファインネットワールドに関することは、
info@finenetworld.com宛てにお願いします。

このブログも、赤木に代理UPしてもらってます。

では、桜が舞い散り、新緑の季節にまたご報告できたら
と思います。

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